トリビアと雑学それに豆知識にうんちく。
これらの似通った使い方をされている言葉…ふと思いました。
…何が違うの?
トリビアとは
辞書を開くと、つまらないことについての知識。雑学。とありました。
雑学とは
辞書を開くと、多方面にわたるまとまりのない知識や学問。また学問に関係ない雑多な知識。とありました。
うんちくとは
辞書を開くと、ある分野について蓄えた知識のこと 深く研究して身につけた知識。とありました。
豆知識とは
辞書を開くと、ちょっとした知識。本筋からは外れているが、知っていると役に立つ話。とありました。
人は何故知らないことを知りたがるのか
レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉に「知りたいという欲求は、人間の良き本性である。」とい格言があります。
とココで披露した知識は豆知識(本筋からは外れているが、知っていると役に立つ話)ですね。
雑学とは、色々な種類の知識が集められた学問だと言います。雑学の情報内容は実生活には役に立たなくてもいいし、基本どうでもよい話…今までは。
雑学は、「人と人の距離を縮めるツール」として活用できます。その場に一緒にいなくてもコミュニケーションをはかったり、場を盛り上げることもできます。
雑学は、自分の体験談でなくても調べたり、人から得た知識でそれをまた人に伝えることができる。スキル不要な知識。
また知った知識を誰かに披露したくなる知識です。
トリビアもまた、テレビ番組で「トリビアの泉」という番組がありました。思わず「へぇ」と言ってしまう事ばかりを集めて披露する番組でした。
トリビアの語源をWikipediaには
トリヴィア (trivia) は、 「くだらないこと、瑣末なこと、雑学的な事柄や知識、豆知識」 を指す。
一説に、ラテン語で「三叉路」3 (tres) + 道 (via) を意味する言葉で、古代ローマの都市において三叉路が多かったことから、「どこにでもある場所」「ありふれた場所」を指すようになり、さらに転じて、くだらないこと、瑣末なことを意味するようになったという。 また、中世の教養科目(リベラル・アーツ)のうち基本となる3つ(文法・修辞学・弁証法)のことをtrivium(三学、複数形でtrivia)と呼んだため、そこから「初歩的でつまらない」という意味が生じたともいう。
形容詞はトゥリヴィアル (trivial)。数学では、ごく基本的で明らかなことを指してトゥリビアル(「自明な」と訳される)という用語をよく使う。
(出典:Wikipedia)
また、トリヴィア – 雑学的知識。との記載もあります。
でも豆知識は
豆知識は、「知っていると得をする」「物事の効率化をはかれる」「組み合わせることで新たなことをも生み出す」など何かの役に立つことを前提とした「情報」
もちろん豆知識を知らなくても、物事はできます。
でも知っているほうが、有益に事を運ぶことが可能になります。
豆知識を別の言葉でスキルやテクニックと言えます。
経験なしでは語れないうんちく
次にうんちく。
これはその人ならではの実体験・遊びや仕事で培った知恵。もしくはスキル。
なので人から聞いた情報では、うんちくは語れません。
だからでしょうか。うんちくを語る人は熱い人が多いですよね。
いざ!コミュニケーション活用
人の脳は、簡単に理解ができるものを欲しがり、理解ができてこそ満足すると言われています。
脳が「なるほど」と思える、簡易な情報は「成功の疑似体験」となり、満足感と幸福感を与えます。
その逆に知れば知るほど、脳が混乱する情報は脳が疲れてしまうため脳は嫌がります。
雑学やトリビアを多くの人が求める理由はココにあるようです。